risusannのブログ

りすさんみたいに、物忘れしちゃう。そんなりすさんの日記。

LIFE! The Secret Life of Walter Mitty見た

とてつもなく良かった

本当は字幕で見たかったが、日本語版で見た

なぜかWalterだけゴリゴリ関西弁

Walterは関西の橋のもとで拾われたんか

関西弁が気になりすぎた

 

内容良かった

ご両親に愛されていても、あんなにネガになることあるのね

自分自身で殻を破って行動しないことには成長しないのね

 

今日1年半前の日記読んでた

ネガネガだったけどおもしろいのもあった

 

牛丼屋さんは行っちゃだめです。一日潰れます。笑

私子どもぽすぎる

まあいっか

最近毎日泣いている

最近、毎日泣いている

輝かしい毎日を生きているはずなのに

 

泣くという行為は、防衛本能からくるらしい

先日、帰省した際、父の姿を見て自然と涙が溢れていた

怖かった、足がすくんだ、隣に行きたくないと思った

こわいこわいこわい

 

自然と涙が出てくる

勉強してないからか

集中すれば、涙は出てこない

でも、いったん集中を解くと、涙が出てくる

 

うつの初期症状なのかしら

ご飯はお腹がすくからきちんと食べている

でもたしかに、ご飯が美味しいって思わなくなった

 

ジムに入った

毎日プールに行けばメンタル安定するかしら

自己防衛しすぎて相手が見えてい

 

どうやら私は弱いらしい

私のせいなのか 否 親のせい 親からの失望を自分への失望に置き換えるな

でも、父のお金で生きているから悲しいのかも

自分の足で生きていきたい

やっぱり公認会計士合格か・・・

 

まあなんとかなるさ ケセラセラ

私の人生は親のもの

私の人生は親のもの

 

父は私に価値がなくなった瞬間、私に負の財産を押し付け、戸籍から抜く。

今現在、私は戸籍上では父の子ではない。父の財産分与は得られない。

 

私が何か成功すると、すぐさま父母は誰の功績なのか言い争う。

慶應合格も99.9%私のおかげ」と母は言った。

実際そうだ。毎日の車での送り迎え、ご飯の準備、私のメンタルを支えてくれた。

母のおかげであることは言われなくとも、分かっている。

 

高校生までは実家で暮らし、毎日母と同じベッドで寝ていた。

常に母の管理下にあった。

私の生理周期も母は知っている。私よりも知っている。

母の管理下ということは、母の望む娘であったということ。

 

しかし、大学から一人暮らしを始め、勉強を娘は全くしなくなった。

それどころか友達とカラオケ行ったり、美味しいものを食べたり、遊んでばかりだ。

公認会計士の勉強もまったくやっていない。失望している。

 

母は外国人だ。父は母が逃げられないよう、何もさせない。お金は一銭も渡さない。精神的に追い詰め、気力を失わせた。堕胎もさせた。

 

母がこの地獄から抜け出し、自由に生きるためには、娘のお金を当てにするしかないのだ。自分で努力すればいいのにと思う。今、娘が手を離れ、暇は腐るほどあるはずなのに。

 

私も自由になりたい。自分を無条件に愛せるように。

無条件は無理だろ。中学受験に落ちた際の、父の冷めた目が忘れられない。

父にとって価値のない娘、いやモノになった瞬間だ。

 

辛い思いが足りない。つまり挫折。でもふんわり、辛い思い。

 

私は幸せな人生を歩みすぎている。

私は自己肯定感が低く、毎日泣いていた。

目が真っ赤に腫れ、泣きすぎて目が開かないほどに。

親、祖父母は私の泣きグセに呆れ返っている

幸せすぎるんだよ、あなたは

だから、こんな小さいことで泣いてるのよ

こんな言葉を聞いたところで、

私自身が幸せに感じられないのはどうしようもない。

幸せに感じれないのは、不幸せを知らないから。比較ができないから。

 

セクシー田中さんの作者が亡くなった。

ドラマ脚本家との不和が原因だそう。

自殺である。

空気は読むものではなく壊すもの

と外国人教諭が言っていた。

そのことをできない日本人がしにがちだ。 

 

このことをインターネットで調べていたら、クレヨンしんちゃん作者 遺書

が出てきた。

閲覧注意だと。検索禁止用語だと。

 

禁じられれば、人間なもんで、調べたくなる

 

調べたら、身体の毛が逆立った。

血に染まった、原型を留めていないグチャグチャに崩れたクレヨンしんちゃんの絵が出てきた。みのけがよだった。恐怖ですぐにお笑い番組を開いた。人間という存在に恐怖を持つほどの悍ましさを有していた。事実、お笑いをしている人にさえ、恐怖を感じたのだ。人間そのもの、存在自体に恐怖をおぼえたのだ。

 

一瞬しか見ていないから、あの悍ましい絵が原作者のものかどうか分からない。

 

何者かが訃報を聞き、有名になりたくて描いた絵なのかもしれない。

それにしてもあれほど不気味な絵を描けるのは興味深い。

どのような精神をしているのか。

私には描けない。描こうとしても、途中で自分が怖くなって止めるだろう。

 

このことを通じて私が感じたことは、

私は経験した恐怖体験があまりにも少なすぎる。足りない。

 

私は温室育ちで、辛いことは無かった。

辛いことがあれば、親、担任が話を聞いてくれた。友達が相談に乗ってくれた。

精神を崩壊させるような経験をしたことがない、多重人格を生み出すような。

 

辛い思いを残りの大学生活2年間でして行きたい。いや、していく。

怖い、気まずい思い、たくさんする。

 

マッチングアプリ自衛隊の方と会った。

彼は、自衛隊の「人格否定」訓練を生き残った。生きた。

彼は今の人生が幸せ。毎日幸せ。とハッキリとした口調で言った。

 

私はそんな彼に憧れた、憧憬の念を抱いた。

私は胸を張って言葉に幸せと発したことがないからだ。

彼はどんなに幸せな人生を、充実した人生を歩んでいるのだろうと思った。

 

閲覧注意の画像を見て思った。

彼は不幸せ、辛い出来事を私よりも経験している。それも圧倒的なほどに。何倍何億倍何那由多倍も。私が見たら、経験したら、泣き出してしまう、逃げ出してしまう経験を。

そのため、私よりも幸せに対し敏感に感じとれる。

私が幸せに感じない出来事も幸せに感じられる。私が不幸せに感じる出来事も幸せに感じる。

不幸せのレベルが違うのだ。あまりにも。

自殺をしたい若者はアフリカの紛争地域に行けと言われるがその通りだと思う。

幸せのレベルを下げるのだ。極限にまで。

現在の環境が当たり前でないこと、自身の環境の良さに気づくこと。

 

結局彼とは上手くいかなかったが、

辛い経験の大切さに気づかせてくれた。

 

ところで辛い経験とはなんだろう。

大学3年生の目標は辛い経験をたくさんしていくことだ。

手始めに馬術部に見学に行こう。

春から大学3年生になるが。

気まずいと思って腰が引けていた。

行くだけ行ってみる。

大学のテスト、二重の意味で終わった。ブランド購買の二重苦じゃなくてね。

1日目のテスト、税務理論。ばくし。

過去問を金で買うような汚い大人になり下がって、しかも単位も落としたっていう。

春学期も同じ教授受けて、適当にやって単位きたから、舐めていた。

 

なめてんじゃねーぞ

 

って言われた気がした。

 

過去問はあくまで、出題形式であって、試験範囲そのものではない。当たり前に。

大学入試過去問が満点取れるからといって、受かるわけないのと同じ。

 

結局理解なのだと思った。

その場その場の問題が解けたところで、数値を変えられ、文章の順番を変えられ、解けないのは理解してないのと同値。

 

一生懸命手を動かしても

理解してない、頭で分かっていないのなら、何も書けるわけない。

 

今日は、商業学だった。半分は埋めた。

単位は怪しい。でも、私の経験則でいえば、くるはず。来てほしい願望。

 

テストを受けると一生懸命勉強したくなる。

アウトプットって楽しいんだなって思える。

テスト問題が私に問いかける。

「これわかる?」「わかるんなら空欄埋めてよ」

「え!埋められたじゃん!ありがとう」

 

真摯に向き合ってくれてる。

それに応えたいと思う。

 

結局理解なのだ。

 

理解とは、全体図の把握と細部の位置・内容を

目隠し、耳せんをして、諳んじられる状態のことを指す。

 

今度から、何か学ぶたびに、目を閉じ、耳栓をし、諳んじる。

 

可愛いアイマスクが欲しいな。。。

 

なんだろう。大学生になり、段々と勉強が億劫になる。

大学生というと、学びの楽しさを享受する時間だと思っていた。

 

やらされている感が抜けない。

いまいち自分のためにやっていない。

高得点を取り、親からお褒めのお言葉やお金をもらっている感覚。

 

楽しくて楽しくて仕方がない状態であったのは、幼稚園のころだな。

 

理解 アウトプット

して初めて、自分のモノになる。自分の人生の養分になる。糧となる。

その実感が湧いて初めて、得た知識を愛せる。大切に出来る。真摯に向き合える。

 

理解だから教科書をとにかく読み込む。

モリーツリーも有効だ。

 

モリーツリー書くの楽しすぎる。

全体図も分かりやすいし、色を使うから見てて楽しい。

文字通り、人生とういう幹に書き込むから、糧になっている感覚に陥る。

 

学んだことはその日のうちに復習をする。

即時復習なのだ。

 

そして、学習を始める前に、前回やった内容を10分で覚え、5分で諳んじる。

高校時代の生物教師K先生がやってくれたように。

その日学んだ事をその日のうちに復習しておりましたその日学んだ事をその日のうちに復習しておりましたVvその日学んだ事をその日のうちに復習しておりました

うちって意外と高所得なのかも。実家極細だと思っていたけど、若干太めなのかも。

自分の家が貧乏だと思っていた。

家はド田舎にあるし、

家は1階に1部屋、2階に1部屋の計2部屋しかない極狭だったから。

しかも風呂なし。度貧乏でしょ。

 

でも税金で100万以上取らせていると知った。

てことは1000万より上は確定している。

 

でも周りを見ると、億単位の稼ぎの方もいらっしゃて。

1000万なんてあたりまえに思える。

 

私は父ほど稼げるのか。

父ほど稼ぐには、大企業に入るか、士業に就くしかない。

 

公認会計士になろう。

子育てもしやすい、自立できる。

1000万も独立すれば稼ぎやすい。

 

ユーチューブで見た京大の世帯年収、平均が1300万だそう。

ある人は20億だと。

裕福すぎる家庭で、努力もできるなんてかっこよすぎる。

 

私も・・・

女として生まれたからには、母親になってみたい。

私は両親のことを完全には好きになれない。

そして、男性に対し、嫌悪がある。

 

男性というのは汚い物

 

という教育をされたからだ。

 

祖母の母、私の曾祖母が

 

「男性は汚らしい存在」「話すと汚れる」「話すことでさえおぞましい」

 

という考えを持ち、8人の子供(その中に私の祖母)に教育した。

 

そのため、私の祖母は、父と話した経験が数えるほどしかないそうだ。

父が帰ってくると、隠れるように自分の部屋に行っていたそう。

 

そして、その考えが私の母にも受け継がれた。

 

母は、父に私のおむつ替えをさせたことが無い。

(父も子供の世話などやる人ではなかった。亭主関白で女は男に従属すべきとの考え)

 

私の排泄を父に見られたくも、世話もさせたくなかった。

父におむつを開けられることで、娘が汚れると考えたのだろう。

 

父と一緒にお風呂に入った経験は3歳までだ。

そこからは強制的に止めさせられた。

 

一度だけ、母と大喧嘩をし、父の布団に潜り込み、一晩過ごしたことがあった。

幼稚園か1.2年生だったと思う。

 

朝に起き、母に言われた一言目が

 

「きたない」

「あんたお父さんと同じ布団で、寝たんだね」

「お父さんの腕を枕にして気持ちよさそうに寝てたね」

「気持ち悪いようお~~~??」

 

私はそう言われ、

「どんでもなく恥ずかしいことをしたんだ」

と思った。

 

「人間として恥ずべき行為、今後してはいけないこと、人に言ってはいけないこと」

をしたんだと。

 

それ以降は母と同じ布団で寝ている。

 

 

 

 

父もまた行動が気持ち悪い。

 

父は亭主関白、モラハラ、激昂癖があった。

常に父の機嫌を伺っていた。

独り言を大声で言うタイプだった。

 

「おい!ばかやろっ!!!!!」「ばか!!!!!」

と大声で怒鳴る。

 

何事だと思えば、ただの独り言なのだ。

布団から起きながら、これらの文言を発したり、

運転をしながら、晩御飯を食べながら、発したり。

 

幼い頃の私はただただ恐怖を感じていた。

 

そして、父には風呂あがり、全裸で過ごす習慣がある。

なにも履かずにでてくる。奴のブツも見える。

 

気持ち悪くて、気持ち悪くて、ふろ上がりの父の雰囲気を感じ取ったら、

家具の陰に行き、体育座りをし、息をひそめ、自身の存在を消していた。

 

父は私に気づかないこともあるが、気づくこともある。

 

気付いた時

 

父「うお!びっくりした。こんなところで何してんだよ。」

 

私的には、

「黙れ露出狂。なに驚いてんだよ。驚くのはこっちのセリフだよ。」

状態だ。

 

加えて、

私がシャワーを浴びている最中、脱衣所に何度も入られた。

 

シャワーを浴びている私は、いつ風呂の扉が開けられるか気が気でない。

何度か、浴びている最中に開けようとされたことがある。

 

ガチャと音が聞こえ振り向くと、父の目があった。

怒ると、驚いた顔をし、

 

「気が付かなかった」と。

 

お前の耳聞こえてる??ばかなの?と思うが、実際に耳かきをしない人間なので、

耳がつまっていたのだろう。

 

以上のことから、父が気持ち悪いと感じる。

母に対し強制的に堕胎させたエピソードも憎悪を増大させる。

 

 

 

 

私は、両親を好きになれない、一生ならないと思う。

 

それでも、最近、母親という存在になってみたいと考える。

 

母親にとって、

 

「子供とは息の根」

 

だと感じる。

 

子供が遠くに行くと、不安でいっぱいになり、

子供が亡くなれば、生きる気力を失う。

 

自分の細胞から構成された存在、

自分の生活を犠牲にして、牛の胆をなめるほどの苦労をし、大きくなった存在

 

そんな自分を苦しめる存在に愛しさを感じる私の母の気持ちが知りたい。

 

自分が自身の子供に対し、どのような感情を抱くのかを知りたい。

 

 

 

母親という存在は父親の存在よりも、色濃く子供の人生に影響する。

私の人生を語るのならば、父との思い出よりも母との思い出が圧倒的だ。

 

そんな母になれる性別の女性として誕生したからには、

 

私は母親になってみたいのだ。